「今日、ちょっといいかな?」
仕事が終わる少し前。
上司にそう声をかけられた。
何か話でもあるのかと思っていると、
「行くぞ。」
時刻は17時ちょうど。
そして周りに向かって、
「みんな今日は早く帰るように。」
とだけ言った。
なんだこれ。
何か怒られるのか。
それとも、ただ飲みに行くだけなのか。
よく分からないまま、上司と二人で店へ向かった。
普段の上司は、かなりぶっきらぼうだ。
説明が足りない。
急に仕事を振ってくる。
言い方に腹が立つこともある。
何を考えているのか分からない時もある。
そして自分も、それなりに文句を言ってきた。
そんな上司とサシ飲み。
とりあえずビールで乾杯した。
仕事の話。
職場の話。
どうでもいい話。
酒が進むにつれて、少しずつ昔の距離感に戻っていった。
今のように上司と部下として構える前。
一緒に忙しい時期を走っていた頃のような感覚だった。
思えば、若手の頃は上司に色々と助けられた。
昼休憩もろくに取れず、
気付けば時計は21時近く。
そんな日も珍しくなかった。
「今日はもう帰っていいぞ。」
何度、この言葉を聞いただろう。
上司は自分たちを先に帰した。
そして次の日。
少しでも昨日の仕事を片付けようと早く出社する。
それでも、必ず上司はデスクにいた。
何時に来てるんだ、この人。
少しでもこの人の負担を減らしたかった。
早く一人前になりたかった。
だから必死で食らいついて、一緒に働いた。
一つ終われば、また次。
また終われば、その次。
文句も言った。
腹が立ったこともある。
それでも、休む暇もないような時期を、なんだかんだ二人で乗り越えてきた。
そしてようやく、
自分でも少しは役に立てるようになってきた。
やっと二人で波に乗れた。
そんなふうに思い始めた頃だった。
突然、上司の昇格と部署異動が決まった。
「そんなの聞いてないですよ。」
本当にそう思った。
やっと一緒に仕事ができるようになったと思ったのに。
上司はいつもの調子で、
「2年待っててくれ。」
とだけ言った。
何を2年待つのか。
その時は、よく分からなかった。
上司は異動した。
自分は、その部署に残った。
そんな昔話をしながら酒を飲む。
「色々ありましたよね。」
「まあな。」
それだけだった。
でも、たぶんそれで十分だった。
全部好きなわけではない。
今でも文句はある。
それでも、
忙しい時に逃げなかった人だということは知っている。
自分が若手だった頃、
何度も助けてもらったことも覚えている。
会社で長く働いていると、
「尊敬できる上司か」
「嫌いな上司か」
そんなに綺麗に分けられない人が増えてくる。
嫌なところも知っている。
良いところも知っている。
だからこそ、
全部納得していなくても、仕事ぶりは認めている。
そんな関係もあるんだと思う。
ビールからレモンサワー。
その次はウーロンハイ。
だいぶ酒も進んだ。
気が付くと、自分ばかり話していた。
上司は妙に聞き役に徹している。
……おかしい。
普段なら途中で何かしら言ってくる人だ。
今日は妙に静かだ。
そんなことを考えていると、
「最近、色々頼んで悪かったな。」
突然、上司が言った。
「なんですか、急に。水臭いですね。」
「査定も悪いようにはしてないだろ?」
「少し厳しい気もしますけど。」
「お前なあ。」
二人で笑った。
そして少し間を置いて、上司が続けた。
「俺はな、お前のこと頼りにしてるんだからな。」
まただ。
今日はやけに褒める。
何かある。
「若い子もそうだし、他の部署の人間も、お前のこと頼りになるって言ってるぞ。」
確信に変わった。
絶対に何かある。
でも、その言葉を聞きながら、
少しだけ昔のことを思い出していた。
若手の頃は、
上司の負担を少しでも減らしたくて働いていた。
早く一人前になりたかった。
あの頃は、
頼る側だった。
それがいつの間にか、
「頼りにしてる」
と言われる側になっている。
経験年数が増えるというのは、
できる仕事が増えることだと思っていた。
もちろん、それもある。
でも最近は、
頼られる相手が増えることなのかもしれないと思う。
後輩から頼られる。
他部署から頼られる。
そして時には、上司からも頼られる。
頼られるのは悪い気はしない。
必要とされているということでもある。
でも。
頼られるということは、
だいたい仕事も一緒についてくる。
「これからもよろしく頼むよ。」
上司はそう言うと、
テーブルの伝票をさらっと持って席を立った。
「あ、そうだ。」
ほら来た。
「来月から本部の人が来るから、対応よろしく。」
「……はい?」
「3ヶ月な。」
そのままレジへ向かっていく。
やっぱり。
何かあると思った。
グラスに残ったウーロンハイを飲み干す。
少しだけ、昔と同じような気がした。
あの頃は、この人に追いつきたくて後ろを追いかけていた。
今は、仕事を一つ増やされて追いかけている。
席を立ち、その背中を追う。
「ごちそうさまでした。」
上司は振り返らず、
「そういうことで、よろしく。」
とだけ言った。
色々ありましたよね。
そしてたぶん、
これからも色々ありそうだ。


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