突然、上司に呼び出された。
「少し時間いいかな?」
やけに丁寧だ。
こういう時、だいたい良い話ではない。
もちろん、首を横には振れない。
どうやら、新規介入に向けた資料をまとめるらしい。
現状を整理して、必要な情報を集めて、今後の動きまで考える。
……そこそこ大きいな。
「君ならできるよな。」
その一言で逃げ道がなくなる。
「わかっているとは思うけど、頼んだよ。」
何を“わかっている”のかは、まだよくわからない。
しかも、どうやら上司はこれから4〜5日出張らしい。
なるほど。
だから今日だったのか。
資料を見る。
期限を見る。
正直、最初に思った。
1人でやった方が早い。
でも、出張明けの上司の顔が目に浮かぶ。
ここは先手必勝だ。
まだ上司が見ているうちに、オフィスのみんなへ声をかける。
「ちょっと協力してほしいんだけど、いいかな?」
その場で、任された仕事について即興で説明する。
拙い。
なんとなくでいい。
伝わってくれ。
「わかりました!」
返事はいい。
一部の部下からは、妙な圧すら感じる。
チラッと上司を見る。
嬉しそうだ……。
久しぶりに見た。
「出張の間、この前の仕事進めておきます。」
そう伝えて、上司を送り出した。
──上司出張1日目。
こんなにも空気が変わるものなのか。
みんな、のんびり。
のびのびと仕事をしている。
4〜5日後の自分を考えているのだろうか。
とりあえず、自分の仕事に取り掛かろう。
そして定時。
そそくさとデスクが空いていく。
……。
昨日の「わかりました!」は、どこへ行った。
まあいい。
今日は自分も早めに帰ろう。
──上司出張2日目。
明らかに昨日より、さらに空気が違う。
このままだと……。
さて、どうするものか。
いつもと違う空気。
それでも電話は相変わらず鳴り止まない。
とにかく自分の仕事を片付けなくては。
3〜4日後が……。
「すみません、ちょっといいですか?」
電話対応で困っている部下から声をかけられた。
その瞬間、周りの視線が一気に集まる。
「どんな感じで保留にしたの?」
……。
「一旦、繋いでくれる?」
電話を代わる。
対応を終えて、受話器を置く。
さっき電話対応していた部下に確認する。
「何かわかることないかな?」
口では平静。
視線は大注目。
……そんなに見るな。
「じゃあ、このままお願いしよう。」
もういい。
仕事を振るしかない。
「そういえば、あれどうかな。進んでる?」
確認する。
「この前の任された仕事なんだけど、手伝ってくれる?」
もう、どうとでもなれ。
──上司出張3日目。
上司の足音が聞こえる気がする。
デスクに着く。
みんなの視線を感じる。
動き出すなら、今日しかないか。
ふと、部下から声をかけられた。
どうやら、前から滞っている仕事があるらしい。
このタイミングか……。
やるなら今しかないな。
とりあえず話を聴く。
「ちょっと急がないといけない案件かもね。」
「とりあえずここまでやって、終わったら声かけてくれる?」
自分の仕事は進まない。
「ちょっと良いですか?」
今度はなんだ。
話を聞いてみると、今回上司から任された新規介入の仕事にも関係している。
しかも、少しまずい。
自分と上司くらいしか状況を判断できないレベルの話だ。
上司は、いない。
止まらない報告、相談。
鳴り止まない電話。
気づけば12時ちょっと前。
自分の仕事も進まない。
疲れてきたな。
「みんな、ちょっと良いかな。」
一斉にこちらを見る。
「少し早いけど、休憩にしよう。」
「きっちり1時間休もう。」
忙しないデスクが、嘘のように静かになる。
やっと休める。
疲れた。
こんな時は、サクッと腹を満たして昼寝だ。
誰も知らない隠れ家へ向かう。
20分だけ寝る。
昼寝して、頭もスッキリ。
デスクに戻る。
「すいません、ちょっと良いですか?」
……早い。
今日は、自分の仕事はできないな。
腹は括った。
とにかく聴く。
確認する。
その繰り返しだ。
あっという間に15時前。
自分も疲れてきた。
ここで、コーヒータイム。
近い年代のメンバーから少しずつカンパを集める。
「悪いけど、2人で全員分の飲み物買ってきてくれる?」
買い出し部隊が帰ってきた。
みんな、思い思いの飲み物を手に取っていく。
自分に回ってきたのは、普段なら選ばない甘いジュース。
……これか。
「とりあえず15分休憩しよう。」
そのあとは、まあどうにかなる。
意外とみんなスマホをいじらない。
変に盛り上がっているグループもいる。
久しぶりに飲んだ甘いジュースは、意外と悪くなかった。
このままコーヒータイムが長引くかと思った。
でも、そうでもない。
自然とそれぞれデスクに戻っていく。
みんな集中している。
……悪くない。
その直後。
「あのー……ちょっと良いですか?」
歯切れが悪い。
嫌な予感がする。
話を聞く。
……なんで今さらなんだ。
もっと早く言えただろ。
心の中には、いつもの上司みたいな言葉が浮かぶ。
でも。
「とりあえず、みんなで取り掛かろうか。」
誰かが確認する。
誰かが電話をする。
誰かが資料を探す。
自分も動く。
気づけば、みんなで一つのトラブルに向かっていた。
そして夕方。
なんとか片付いた。
「終わったー!」
誰かの声が響く。
今日はもう、それでいい。
自分の仕事はほとんど進んでいない。
でも、なぜか昨日までとは少し違った。
──上司出張4日目。
今日、上司は帰ってくるのだろうか。
それとも明日なのだろうか……。
とりあえず、今までの遅れを挽回しなくては。
デスクに着くなり、近い年代の同僚から声をかけられた。
「昨日の件、まとめといたよ。」
「少し先まで見据えてまとめたから、あとは任せるよ。」
「あと、噛んでた後輩がいたから話しておいた。」
……助かる。
「上司、今日帰ってくるのかな?」
ニヤッ。
こいつも気にしてたのか。
そうと決まれば、話は早い。
経緯を知っている部下に話を聞きに行く。
なるほど。
ここまで来たらお願いしよう。
「それ、やっといてくれると助かる。」
「よろしくね。」
さて、自分の仕事に戻るか。
その瞬間。
「1個聞いて良いですか?」
……嫌な予感がする。
「これって、どんな感じでまとめようとしたの?」
話を聞いてみる。
なるほど。
「ここか。」
「ここ、少し表現変えるともうちょっと良くなると思うよ。」
「そこだけ直して、とりあえず相談してみるのどうかな?」
「わかりました。」
しばらくして、さっきの部下が自分で相談に行っている。
何を話しているのかまでは聞こえない。
でも、相手の表情は穏やかだ。
心象は悪くなさそう。
……よし。
そうと決まれば、上司の帰還に備えよう。
任された仕事。
止まっていた仕事。
部下に振った仕事。
一つずつ確認していく。
気づけば、昨日までとは少し違う。
自分が全部やらなくても、仕事が進んでいる。
廊下から足音が聞こえる。
……帰ってきたか?
違った。
また足音がする。
……今度こそ?
違う。
結局、その日も上司は帰ってこなかった。
少しホッとした。
いや。
なんでホッとしてるんだ。
──上司出張5日目。
今日こそ上司は帰ってくる。
間違いなく帰ってくる。
デスクの雰囲気は少しゆったりしている。
……大丈夫か。
近い年代の同僚と目が合う。
わかっているな……。
このままだと、いつもの、
「どうなっているんだ。」
が目に見える。
「この前の件どう?」
「お願いしたことなんだけどさ、順調?」
片っ端から声をかけてみる。
意外と進んでいる。
思っていたより、仕事は回っている。
どこからか、聞き覚えのある足音。
今度は間違いない。
「ただいま。」
「みんなどうだったかな?」
手土産片手に、やけに上機嫌な上司が帰ってきた。
静まるデスク。
上司はそんな空気など気にする様子もなく、楽しそうに出張の話を始める。
あそこが良かった。
こんなことがあった。
手土産はここの名物だ。
……例の件、忘れてるな。
散々話して、ようやく気が済んだらしい。
「で、近況どうだ?」
いくつか報告が上がる。
「そこは、まだ進んでません。」
空気が変わる。
「俺がいない間、何をしてたんだ。」
……出た。
チラッと上司を見る。
目が合った。
「例の件なんですけど。」
新規介入についてまとめた資料を出す。
途中で止まっていた案件。
新しく拾った情報。
みんなに協力してもらった部分。
一通り説明する。
上司は資料に目を通す。
少し間があった。
「これだけ?」
……。
5日間って、こんなに短かっただろうか。
やっぱり、1人でやった方が楽だったのだろうか。


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